父が倒れてから、亡くなるまで。(2003.1.23〜3.2)

当時書いた日記をまとめてみました。
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● 1月23日
昨日、父が倒れた。家族全員、病院にかけつけた。(この日に私が家族の連絡網を作った。)
すぐに意識は戻ったが、しばらく入院して絶対安静とのこと。
『解離性?動脈流破裂?』?B型?。症状の割にはかなりラッキーなケースだったようだ。
一昨日、“背中をヤリで突かれるような”痛みで町医者に行ったら「筋肉痛」と診断されたので、
ボルタレンを飲んで、熱い風呂に入ったり、運動したのがとても悪かったようだ。
再来週2/8は、父が望んだ‘神田明神’での弟・結婚式だというのに出られないらしい。かわいそうだ。
状況は落ち着いているので、私は今週末もスキーに行って良いと言われたが、いまひとつ心配である。

             □□□ 補 足 □□□
基礎スキーに馴染みのない方へ、誤解のないように補足説明をさせて頂く。
実はこの年に「SAJ準指導員検定」を受けていた。前の年の8月に申し出て、所属スキークラブ
理事会と指導部会の承認を得た上で、会長名の推薦書をもらって、事務局に自分で申し込みに行き
大金を払い込んで初めて、受験資格が得られるものである。 特に私は「指導者に向いていない」
「素質にかける」「まだ早い」と反対意見が目白押しだったそうで、一人だけ(他の受験者はなし)
特別に会長面談の後の承認となった。
その後も、9月、10月に東京で講義を受講しなければ受験資格がなくなる。9月の時には生憎
風邪をこじらせ、高熱の中、受付の人ごみで吐きながらも出席をとったものである。
もちろん、1月に行われた菅平での、実技講習も遅刻・欠席者は受験資格がなくなる。
講習日が、勤務先・年始初日だったため、休みがもらえず、部長に「行くなら会社をやめて行け」
とまで言われても説得し、参加し、3月に検定を目指していた最中だった。

弟の結婚式があろうが、養成講習会とクラブツアー日程が重なっていようが、
どんな事情があっても、クラブツアーに一度も参加できない場合には、
受験は承認できないとやり始めてから当時の会長に言われた。
以前にも、そういう受験者がいて、当時かなり問題になったそうだった。
今まで何度もクラブツアーには参加していた、たまたまその年に行けなかっただけなのに。
母にも、弟の披露宴を早退したら、二度と口を聞かないと言われた。当たり前だ。<(__)>

今考えてもヒドいものだ。結果がわかっていたら、虐められる前にやめたのに...。
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● 1月24日(金) 今日もお見舞いに行った。

● 1月28日(火)
仕事を早めに切り上げて、今日も御茶ノ水にある大学病院に父のお見舞いに行った。
また病室が移されていた。行くたびに変わっている。
お茶が飲めるようになっていた。水飲み?で飲ませてあげるとすごく喜んでいた。
検査も再開したようだ。少しは良くなっているのだろうか?
でも、私に向かって母の名を呼び「まだ手は治らないのか」という。
少しぼけてきたのだろうか?なんだかかわいそうだ。(;_;)

● 1/30、2/4、5、  今日もお見舞いに行った。

● 2月6日(木)
昨日、家族が病院に呼び集められ、父の手術について説明があった。
病名は、動脈瘤乖離&弁膜症。
石原裕次郎が亡くなった病気で有名とのこと。
成功の確立は95%。昨日やっと本人も手術を受ける決断をした。
動脈硬化が進んでおり、またいつ出血があるかわからず、もし、そのまま帰り、
また倒れて病院に戻ってくると、手術成功の確率は50%まで下がるらしい。
手術は明日の朝からで7〜8時間に及ぶ。
成功すれば、ほぼゴルフができるくらいには回復できるらしい。
当日は、私も、午前半休をもらい、面会に行く予定。
手術中、誰か一人、病院で待機していなければならないが、家族が多いので交替でする予定。

● 2月7日(金)
父の約8時間に及ぶ手術が始まった。今日は麻酔が覚めないそうだ。
明日は朝から弟の結婚式。終わり次第、病院に行き、その後、菅平へ出発。
今年クラブツアーに一度も参加できないのに準指を受けるのは問題だから、遅れてでも参加するようにと言われたから。
 (もちろん、父が倒れる前の話だが。)
今夜は、会社に入るとき〜入ってからも、一番お世話になった次長さんの定年退職・慰労(祝賀?)会がある。
本当にいろいろと重なるものだ...
明日、結婚式を控えている弟の奥さんになる彼女が軽い貧血で倒れた。病室から父を送り出す時だった。
いろいろなことが重なり気遣いで疲れたのだろうか。夜には彼女のご両親も田舎から出て来る。
そんな彼女を見て父は、「お大事にね。」と声をかけていた。まったく...どっちが...
病院待機は母と姉に任せて私は会社に午後から出たが、
大変申し訳ないが、次長さんの定年退職・慰労会は当日キャンセルさせてもらい、
交替は弟には任せずに、私が病院に戻ろうと思う。
来いと言われたクラブツアーには幹事さんに数え忘れられていたり...(T^T)
厄年はもう終わっているはず... お願い、これ以上もう何も起こらないで...。(;_;)

● 2月8日(土) 弟の結婚式に出席後、お見舞いに行き→菅平へ

● 2月10日(月)
父の手術は翌日の朝6時まで約21時間にもおよび、それ以上胸を開いていては危険だからと、閉じられた。
予想以上に悪く、時間は倍以上かかったが、手術は成功したようだ。
終了当日の夜に軽い再手術があったが、大事には至らず、人口呼吸器をつけているのでまだしゃべれないが、
今日、無事に目が覚めたらしい。(菅平クラブツアー参加中)

● 2月11日(祝)
準指検定会場下見をAMで切り上げ、菅平→お見舞い(御茶ノ水/医科歯科)。
人工呼吸器がついていてしゃべれないが、目は開いてぱちぱちしていた。帰るよ。というと、いやいや?をする。(笑)
手足もわずかながら動く。術後は順調とのこと。一安心だ。(^-^;)

● 2月13日(木)
父は、昨日、不正脈で危険な状態になり、薬で眠らされ、電気ショックで戻してもらったらしい。
少し場所が悪かったら危なかったそうだ。  どうして!!順調だったのでは!?
今日もお見舞いに行ったが、まだ眠っていた。
母が「お腹も真っ赤だし、腕がひどく浮腫みパンパンでかわいそう」という。
姉は帰った後で、残っていたのは母だけだった。私も6時に会社を出るのはかなり大変である。
私は今週末もスキー(準指養講)である。なんと不謹慎な娘なんだろうか。(;_;)

● 2月18日(木)
父の状態が悪化してきました。
昨日、病院面会時に鉢合わせた姉にも
「あんたは好きでスキーに行っているんだから仕方ないじゃない」
といわれた。やっぱり。準指受験は止めた方がいいのだろうか...
会社の同僚の人に(お母さんが似た病気で手術をされたそうな)
話したら「準指!?そんなこと言っている場合じゃないでしょ。」と言われてしまった。
やっぱり。準指受験は止めた方がいいのだろうか...

● 2月19日(水)
今朝、母が病院に呼び出された。
「肺水腫と肝機能低下がひどい、MRSAに感染したと思われる。このままならば
あと2〜3日しかもたないので、リスクはあるが透析をしても良いか?」と聞かれたそうだ。
私も会社は休み扱いにしてもらいすぐに病院に向かった。もちろん透析もすぐに開始してもらった。
しばらくすると薬がきいたのか、だんだん血中酸素濃度があがり
安定したので、少し安心し家族は全員帰ることにした。
病院を出て携帯の電源をつけ、メールチェックしたところ!
なんと!!検定用にチューンナップに出してもらった板が破損したという知らせが!

● 2月22日(土) 01:26
面会時間は午後3時から7時なので、夜もろくに眠れなかったので、朝はゆっくり起きて、
シャワーを浴びていたら、母から電話があった。教授から集まるように連絡があったらしい。
一人だけ、家が少し遠いために着いたら説明は終わっていた。
悪化のため、もう透析もできず、感染元もわからないので、これ以上何も手立てがないそうだ。
熱もいくら冷やしてもらっても39度から下がらない。あとは自力で回復してくれるのを待つのみ。だという。
一度家に帰り、食事してから夜にもう一度行った。面会時間はもう関係ないようだった。
今晩は姉が病院に泊まってくれました。
母はかなり弱気になっていますが、私は父は必ず元気になると信じています。約束したから。

● 2月23日(日)
今朝4:45、父が亡くなりました。私は何がなんだか良くわかりません。

 

● 2月24日(月) 通夜
結局、2/7の22時間にも及んだ大手術から、
一度もしゃべることなく、ICUからも一歩も出られないまま、
いつも周りの人の幸せばかり考えて自分は二の次だった、大好きな優しい優しい父は私たちと
数々の果たせなかった約束と、たくさんの思い出を残し、2月23日 朝4時45分頃、
一人だけ先に逝ってしまった。まだ69才。悲しくてならない。
倒れてから一ヶ月間、あんなに食べることが好きだった父は、大好きな母の料理を全く口に出来ずに死んで行った。
涙って枯れないものだったことを初めて知った。

● 2月25日(火) 告別式

● 2月26日(水)
通夜、告別式を無事に終え、後片付けと掃除に終われている。
終了まで、若者?チームは、泊り込み&交代制徹夜でずっと父に付いていたのでかなり疲れた。
でも、きっと父を寂しがらせずに済んだろうな。(^_^)
お通夜だけでも400人弱来て頂いた。父は賑やかなのがとても好きだったので喜んでいると思います。
ありがとうございました。霙混じりの寒い中、長い間待たされた方は本当に申し訳ありませんでした。
本日は、会葬者の方の名簿を姉と手分けしてExcelでリスト作成中に...
父所有不動産負債額一覧を作れと兄に言われ... 今やっと終わり、休憩中。(=_=)..。
母は、確定申告をいつも自分の分まで父にやってもらっていたのだが、
今回、自分の分どころか、父の分についても処理しなければならなくなりパニック状態。

● 3月1日(土)
明日は、全員召集がかかり、店の大掃除をすることになった。
皆の大量な食事を用意するので、母にジャガイモの皮むきを頼まれた。
にいちゃんもいたので、新品の皮むき器を渡された。
私の分は、痛んでふにゃふにゃになっているジャガイモだった。
うまく、むけず、すごく力を入れて引っ張ったところ、
自分の左手人差し指を皮爪肉ごと数ミリだが削ってしまった。血がすごくでた。
でも、父はこれの何百倍も痛かったのだろうなぁ...

● 3月2日(日)
食事の時、母に、父の代わりに母に親孝行をしたいんだけど何をしてほしい?と、
冗談混じりに聞いたら、笑顔で「おとうちゃんを返して欲しい」と言われた。困った。(=_=)
母はまだ、夜中、ちょうど父が亡くなった時間には毎日起きてしまうらしい。
私も夜中に何回も起きる.....

 

 

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年末年始には、母と二人でシンガポールに観光に行けるくらい元気だったのにね。
いつも、おじいちゃんが92歳で亡くなったから、自分は100まで生きるってがんばってたのにね。
最初から治らない病気だとわかっていたら、無理しなかったのに.....。
ずっと、そばについていてあげられなくて。親不孝でごめんなさい。
お医者さんが95%手術すれば助かるって、言っていたから、皆、信じていたから.....。
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